岩泉町の畑は山の傾斜地がほとんどです。また、夏に冷たい季節風“やませ”の影響を受けることから、稲作が普及したのは品種改良が進んだ昭和30年代以降で、それ以前は豆類や雑穀類が中心の食生活でした。
お米や小麦などの主要な穀物以外の穀物をまとめて「雑穀(ざっこく)」と呼んでいます。雑穀にはひえ・あわ・きび・大麦などがあり、昔は日本中で栽培されていましたが、稲作の普及に伴って生産は激減しました。
岩泉町においても雑穀類の生産量は減少しましたが、今なおハレ(お祝い)の日の行事食や郷土料理に欠かせない食材で、ご先祖様から受け継いだ種を蒔き、大切に育てています。
冷害に強く、“ひえめし”や“ひえけぇ”にして食べられていました。昔は主食として食の中心にあり、長寿の秘訣とも言われています。
熟しても実がこぼれ難く、倒れにくいことから山間部の焼き畑に適していました。“あわもち”は三九日(畑の神様の日)やお正月の行事食に欠かせません。
たかきびと区別するため「こっきみ」と呼び、お米と同じように「モチ」と「ウルチ」があります。今日でもお祝いの食事には二穀飯や三穀飯を炊きます。
水車や臼で搗いて粉にし、秋仕舞いのご馳走や農神様のお供えに「きみだんご」を作ります。「日本一のきみだんご」と言われています。
南米アンデス原産の作物で、江戸時代に観賞用として導入されました。鉄分・カルシウムが豊富に含まれ、ご飯に混ぜたり、お菓子の材料にも適しています。
豆類は、栄養価が高いだけでなく、土壌を肥やし、脱粒後の殻は家畜の餌にもなります。大豆・黒豆・黒平豆・青豆・金時豆・小豆など様々な種類があります。
雑穀や豆類の生産者は、岩泉町で昔から暮らしてきたおじぃちゃんやおばぁちゃんがほとんどです。傾斜地の小さな畑で育てていますので、大型機械に頼らず、春の種まきから夏の草取り、秋の収穫・脱粒までほとんど全ての作業を手作業で行っています。生産の基本は、「家族に食べさせるつもりで、手間をかけ、美味しい豆や雑穀を育てること」。自然の堆肥を入れ、環境に配慮した生産に心がけています。
当社では岩泉町内の約120名の生産者との契約栽培に取り組んでいます。ひとりひとりの生産量は決して多くはありませんが、おばぁちゃんたちの仕事はとても丁寧です。
この努力が、美しい農山村の景観を取り戻し、地域食文化の伝承につながっています。